2013年04月14日

オリコン集計以前のミリオンセラーとは??・・・nammyblog vol.79

1960年代のミリオンヒット作品は何だろう?
そう、オリコンの集計開始によるデータは1968年1月からであり、それ以前は各社とも確固たるデータがないため推定売上枚数が不明なのである。
確かに当時の売上枚数発表は各レコード会社が曖昧なもので、実際50万枚程のヒットを大ヒットを印象付けるために100万枚突破などとオーバーに発表することもしばしばあったという。
有名であるが、実際の売上はどうだったのだろう?

個人的主観であるが、ミリオンセラーを達成したであろう1968年以前の10作品を並べてみました。

■ミリオン達成?1968年以前のヒット作品■

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ/ブルー・シャトー(1967年)

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトー」.jpg


石原裕次郎/夜霧よ今夜も有難う(1967年)
美空ひばり/悲しい酒(1966年)
美空ひばり/柔(1965年)
青山和子/愛と死をみつめて(1964年)
坂本九/見上げてごらん夜の星を(1963年)
橋幸夫・吉永小百合/いつでも夢を(1962年)

橋 幸夫・吉永小百合「いつでも夢を」.jpg

村田英雄/王将(1962年)
坂本九/上を向いて歩こう(1961年)

坂本 九「上を向いて歩こう」.jpg

植木等/スーダラ節(1961年)


1961年発売の坂本九「上を向いて歩こう」は有名すぎる名作ですね。
果たしてどれくらい売れたのか未知数であるが、海外でも「SUKIYAKI」というタイトルで全米チャート1位を獲得する日本人唯一の大快挙の持ち主。
100万枚はゆうに越えているとは思うが、当時の情勢などでレコード枚数がどのようだったのか。
大ヒットを記録した1961年度(昭和36年)のレコードシングル生産枚数は2216万枚、オリコン集計が開始された1968年度は9245万枚と1/4の生産枚数となる。
これを比較した際、単純計算でまだレコード自体が国民に完全普及せず、レコードプレイヤー自体は高級品で容易に購入できるものでなかったとすれば売上枚数も1/4程度の計算が妥当なのかも知れませんね。
68年度と同比較した際、仮に150万枚の大ヒットだったとしても35万枚〜50万枚程度のヒットだったのかも知れない。
これはあくまでデータがない以上推定に過ぎないが、レコード生産(EP)が急激に成長を遂げたのは1964年(昭和39年)以降であり、日本中が歓喜に沸いた東京オリンピック以後。
経済成長は着々と実績を伸ばし高級品であった家電製品とともにレコード生産も上昇傾向に乗っていったのかと推察される。

60年代のレコード(EP)の生産枚数は以下の通りである。

■シングル盤レコード生産実績(1960年代)■
生産枚数単位(千)枚

1960年(昭和35年) 22,234
1961年(昭和36年) 22,169
1962年(昭和37年) 30,275
1963年(昭和38年) 45,855
1964年(昭和39年) 59,966
1965年(昭和40年) 76,280
1966年(昭和41年) 78,348
1967年(昭和42年) 81,025
1968年(昭和43年) 92,456
1969年(昭和44年) 95,186


こう見るとレコードの急成長も東京五輪の64年以降であることがわかりますね。
64年以降のヒット作で事実ミリオンを達成したのは美空ひばりや石原裕次郎、ジャッキー吉川とブルーコメッツが濃厚なのかも知れない。
今やデータがない以上、レコード生産データで判断していくしか方法はないが、上記10作は売上規模が違えど、ミリオン級のヒット曲として数多くの国民が聴いていた60年代の代表作であるには変わりない。
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posted by nammy at 11:04| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ヒットチャート記録編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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