これもまた一人の天才によって達成された記録を記していきたいと思う。
多くの人が手にし、そして聴いたことでしょう。
尾崎 豊/十七歳の地図
発売日:1983年12月1日(CD発売:1991年5月27日)
売上枚数:130.1万枚(LP:7.0万枚/CT:6.2万枚:116.7万枚)
初週売上:0.1万枚
最高売上:7.0万枚(1992.5/25付)
最高位:2位(1994.2/21付到達)
初登場:91位(1984.8/20付)
TOP10:15週
TOP100:145週
もはや語るまでもないベスト的なデビューアルバム。
今から30年前の作品になるんですよね。信じられません!
ソニー主催のオーディションに合格し、17歳にしてレコーディングされた作品。発売時に尾崎豊本人が高校在学中だった為、生産枚数が抑えられ、初回生産分はかなり少ない。また、当時無名同然の高校生だったため、はじめはわずか3000枚売るのが精一杯だったとも言われている。後に尾崎自身が「ファースト・アルバムを超える作品が作れない」と発言しているほど。鬱屈した10代の感情を歌い上げた楽曲群は若者たちに受け入れられ、現在までに9形態の再発が繰り返されている名盤である。
本作は発売から9ヶ月後の1984年8/20にLPチャートで初登場91位にランクイン、僅かその初週売上は1,000枚であった。
84.11/16まで15週間、51位〜100位の間を水面下でキープするも一度TOP100から姿を消す。
1985.1/21に再び81位にランクイン、評判は人から人へ伝わり順調にセールスを上げていき1985.3/4、28週目にして最高位28位に到達。
前評判の良さが繋がりその1カ月後にリリースされた2ndアルバム「回帰線」は見事初登場1位を獲得した。
LP、カセットはその後も低水準で売れ続けた。
CDが再発売されたのは91年5/15、デジタル化された本作は91.5/27に34位で初登場したが、僅か5週でTOP100外へ。
皮肉にもこの作品が再び陽の目を浴びるのは92年5/4付の再登場71位。
それはあまりにも急で、そしてファンにとっては信じがたい報道・・・
1992年4月25日、26歳という若さで急逝したニュースは日本中を騒がせた。
各レコード店で追悼特集が組まれるなどし、軒並みTOP100内にランクインさせた。
本作は再登場後、71位→24位→4位と92.5/18、それまでの最高位28位を大幅更新する。
翌週5/25付にはTOP10内に尾崎 豊の旧譜が6作品独占。その時のTOP10である。
◆1992年5月25日付 アルバムTOP10
01位 尾崎 豊/放熱への証
02位 ZOO/Gorgeous
03位 CHAGE&ASKA/スーパーベストU
04位 尾崎 豊/回帰線
05位 尾崎 豊/十七歳の地図
06位 尾崎 豊/LAST TEENAGE APPEARANCE
07位 尾崎 豊/壊れた扉から
08位 氷室京介/MASTER PIECE #12
09位 尾崎 豊/誕生
10位 T-BOLAN/BABY BLUE
改めて過去の作品が世に広まった瞬間である。
良い作品は年月など関係ない、それを証明させてくれた。
CD盤の売上は92.5/4〜93.1/25までTOP100内にランクイン、圏外へ落下するもこの時点での売上枚数は50.2万枚。
1周忌の93.5/3に71位に再浮上、93.5/10には28位まで上昇、その後TOP100内を繰り返しランクイン。
1994年1月、フジテレビ系列の月9ドラマ「この世の果て」主題歌に「OH MY LITTLE GIRL」が起用。
シングルカットされ尾崎初となる107万枚のミリオンセラーになると同時に、収録されたデビューアルバムである本作にも注目が再び集まる。
94.1/17には48位へ、およそ8か月ぶりにTOP50内に上昇した。
48位→17位→6位→5位→4位→2位と94.2/21には60週目にして最高位2位に到達した。
92年5/18以来の9ヶ月ぶりの記録更新である。23週間(約6か月間)TOP50内で売れ続け、登場から71週目の94.5/9、遂にミリオンセラーに到達した。
発売日の1983年12/1から数えて10年6か月でのミリオンセラーはアルバムで「発売日からミリオン到達までの時間」部門で歴代1位である。
今でも語り継がれる名曲は多く、「I LOVE YOU」「僕が僕であるために」「15の夜」「はじまりさえ歌えない」「OH MY LITTLE GIRL」など。
◆「十七歳の地図」収録曲
01.「街の風景」
02.「はじまりさえ歌えない」
03.「I LOVE YOU」
04.「ハイスクールRock'n Roll」
05.「15の夜」
06.「十七歳の地図」
07.「愛の消えた街」
08.「OH MY LITTLE GIRL」
09.「傷つけた人々へ」
10.「僕が僕であるために」
全てシングルでもおかしくないくらいの名曲揃い。
自身が語る「デビューアルバムを超える作品が作れない」というのも納得できる。
とても17歳の少年が作ったとは思えないくらいのクオリティの高い作品ばかりだ。
30年経った今でもその名盤はずっと人々の心の中に生き続けている。